みみをすます
みみをすます
みみをすます
きのうの
あまだれに
みみをすます
谷川俊太郎さんの「みみをすます」の冒頭です。
本当は縦書きの詩ですが、ここではしばし重力を忘れて
カウチに横たわるような気持ちで、横書きで言葉を紡いでみたいと思います。
精神分析は創始者であるフロイトの自己分析から始まりました。
私が思うに、その起源はやはり横たわるフロイトの最早期の記憶、あるいは夢だったのではないでしょうか。
じぶんの
うぶごえに
みみをすます
「みみをすます」でも時空を超えて様々なものがみみに届きます。
創始者であるフロイトは『精神分析を実践する医師への勧め』という技法論文で、精神分析家が「やるべきことはただ聞くこと」「自分の『無意識的記憶』に完全に身をゆだねる」ことと書きました。
谷川俊太郎さんの「みみをすます」もそういうことかもしれません。
精神分析家はカウチでの数年間を経て、この「みみ」を養い、分析家の椅子という座位へ移行します。
それ以前は週4、5日、約1時間ずつ、精神分析家の膝元でカウチに横たわり「頭に浮かんだことは批判することなく報告せねばならない」という規則のもと言葉を紡ぎ続けます。
この技法を見出したフロイトの自己分析は、友人のフリースへ手紙を書き連ねることでなされました。手紙はもちろん横書きで、恐らく座位です。
でも多分、そうしているフロイトのこころは「ただ聞くこと」をしてくれる他者に向けられており、そこでは重力に抗わずに子どもに戻ったり夢をみられたりしたのではないかと想像します。
重力に抗って立ち上がる毎日と、重力に抗わずに過ごせる時空を行き来しながら自分のこころと身体にみみをすまし、きこえてきた音で、みえてきた景色で言葉を紡ぎ、その言葉を大切にしてもらうこと、それはとても幼い頃から繰り返しされてきたこと、あるいは切実に望まれてきたことかもしれません。
もしすでにこどもではない私たちがそのような体験をできたら、フロイトが『ヒステリー研究』の最後に書いたように、苦しみを「ありきたりの不幸にうまくに変えられる」かもしれず、もしそうやって「心の生活を回復させるならば、そのありきたりの不幸から、あなたはもっと上手に身を守れるようになる」のかもしれない、精神分析は現代もそう考えているのだと私は思っています。
(ひとつのおとに
ひとつのこえに
みみをすますことが
もうひとつのおとに
もうひとつのこえに
みみをふさぐことにならないように)
最後も「みみをすます」の引用でした。
大雨の被害がこれ以上広がりませんように。
引用文献:
『みみをすます』谷川俊太郎 福音館書店
https://www.fukuinkan.co.jp/book/?id=452
『フロイト技法論集』藤山直樹編・監訳 岩崎学術出版社
『フロイト全集2 ヒステリー研究』岩波書店